富山県高岡市の雅楽団体、洋遊会は平成23年に発足以来150周年を迎えた。
23年10月8日、萬歳楽、抜頭等による記念公演を開催し同日夜、高岡市のホテルニューオータニで、市長、国会議員、名誉市民等多数の出席のもとに祝賀式が行われた。雅楽は高岡市の無形文化財に指定されており、洋遊会はその保持者である。県の代表紙、北日本新聞は第一面に大きく祝賀記事を書いてくれた。
150年という年月は、雅楽の歴史からみれば、決して長いものではない。もっと歴史のある雅楽団体もあるだろう。しかし、洋遊会は神社、寺院などの母体をもたず、市民愛好家だけにささえられた民間団体である。150年にわたる活動は、確かに良くやったと言えるのではないだろうか。
今回、綿密な資料調査をもとに、会史「悠久の雅−洋遊会百五十年の響」が編纂された。これをひも解くと、文久元年(1861年)発足当時の洋遊会メンバーは菅笠問屋が多かったことがわかる。菅笠や蓑は、百万石の加賀藩が力を入れた物産で、良質の菅の自生するこの地に適していた。江戸時代の全国ブランド、「加賀の菅笠」、「越の菅蓑(こしのすがみの)」は、かの芭蕉も「奥の細道」の旅で使ったようだが、それらは洋遊会の地元、高岡市福岡町の産品である。さすがに商人が会の中心だっただけに、記念誌には財政や昔の出演料規定に関する細かい記述もある。継続の一つのポイントは財政重視だったに違いない。
加賀藩は文化政策にも力を入れた。今回の記念事業は前田家のご当主、前田利祐さんも発起人の一人である。会の成り立ちを考えれば、実に意義のある方にお引き受けいただいたと思う。
私が洋遊会へ初めて顔を出した50年前の先輩たちは、会の将来に悲観的だった。ちょうど高度経済成長が始まった頃で、世の中の眼はもっぱら経済に向いており、古典芸能や地域文化は影が薄かった。それにもかかわらず、今日洋遊会が発展しているのは、経済と文化の両立という江戸以来の当地の風潮が、やはり根強いものだったという証である。私自身も元は保険会社のいわゆるモーレツ社員だったが、勤め上げた今は「雅楽の人」であり、地元からもそう期待されている。50年後も100年後も、当地にはこんな人間が続くのだろう。
記念誌は一部千円で販売しています。